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職業大図鑑/インタビュー

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元箱根駅伝ランナー「たむじょー」に聞く
YouTuberってどんな仕事?

田村 丈哉

職業・団体名
YouTuber
(たむじょーチャンネル)
出身
千葉県
学歴
【酒井根中学校卒業】
帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科トップアスリートコース卒業
職歴
YouTuber
<YouTubeリンク>
▶▶たむじょーチャンネル
子供の頃の夢
箱根駅伝ランナー
中学生の時の部活動
陸上部(長距離)
  • 「人を笑わせたい!
    大学卒業式の日に始めたYouTuberとしての挑戦」

    まずはじめに、たむじょーさんが YouTubeを始めたきっかけを教えてください。

    私がYouTubeを始めたのは、大学卒業式の日でした。もともと、お笑いが好きで、「お笑い芸人」になることを夢見ていました。ただ、その夢は残念ながら、相方が見つからないという形で断念することとなりました。

    しかしその後も、人を笑わせる仕事をしたいという想いを捨てきれず、Youtuberを目指すことにしました。私が大学生の時、YouTuberが注目を集めるようになり、「ヒカキンさん」や「はじめしゃちょーさん」などの活躍を毎日のように目にするようになりました。そして、自分も「この人たちのように有名になって皆を笑わせたい」と感じたのを覚えています。

    そして2020年3月20日。大学卒業式の日、YouTubeに初めての投稿をしYouTuberとして一歩を踏み出しました。

  • 現在、たむじょーさんの Youtubeでは、陸上競技を中心とした内容で発信をされていますが、このコンテンツにしたきっかけは何だったのでしょうか。

    私には、小学4年生から大学4年生まで打ち込んできた「陸上競技」という強みがありました。みんなもよく知っている″箱根駅伝″に出場した経験もあります。
    YouTubeを始めた当初は、陸上競技について発信している人も少なかったので、「お笑い」と「走ること」、自分の好きなものを掛け合わせて発信していけば、誰にも真似できない自分だけのコンテンツができると考えたんです。

    そして、自分の好きなことを仕事にできたら、こんな素晴らしいことはないだろうなと、『たむじょーチャンネル』として、走ることの楽しさを伝えられるようなランニング系Youtuberになりました。

  • 「箱根駅伝で叶えた夢、その後に選んだ新たな道」

    たむじょーさんは、箱根駅伝も走られており、社会人チームへ進んで陸上競技を続けたり、大学卒業後に一般企業で勤めるという道もあったかと思います。その中で、YouTuberになるという決断をしたのは、なにか強い思いがあったのでしょうか。

    小学校4年生の時に陸上競技を始め、夢は常に箱根駅伝に出場することでした。目標シートにもずっと「箱根駅伝出場」と書いていて、その夢を叶えるために中学、高校、大学と陸上競技一筋で努力してきました。大学時代には1回だけですが、箱根駅伝を走ることができました。

    そして、1つの夢が叶い、今後の進路について考えた時、社会人チームの一員として陸上競技を続けていくことに情熱を持つことができませんでした。もし陸上競技を続けたとしても箱根根駅伝以上の目標を見つけられず、モチベーションを維持するのが難しいと感じました。それならば、自分のやりたい道を進んで、後悔しない生き方をしようと、YouTuberになることを決意しました。

  • 「走るだけじゃない!
    イベントに企画に。YouTuberのお仕事とは?」

    ここからたむじょーさんがYouTuberとして、現在やられているお仕事内容について教えてください。

    YouTubeの活動は、平日が中心です。基本的に、自分で企画を立て、撮影した動画は担当者が動画編集をし、投稿するという流れです。

    また、最近では、いろいろな企業から注目していただき、企業との会議も増えてきました。

    土日は全国各地で行われるマラソン大会やイベントに参加することが中心で、自分自身でイベントを開催することもあります。

  • 「人気が出るまでの下積み時代」

    現在は、YouTubeのお仕事以外にもイベントなどのお仕事もされているということですが、YouTubeを始めた当時についても教えてください。

    最初の1年半は、現在のようなマラソン大会のゲスト出演や企業とのコラボといった活動はなく、YouTubeに毎日、動画投稿をしていました。本当に必死に撮影と動画編集をして、多い時には1日に2本動画撮影することもありました。

    YouTubeを始めた当初から「下積みなしで、成功できる世界ではない」ということはわかっていたので、地道な努力を積み重ねてきた結果、今のような活動につながっていると感じています。

  • 「YouTube活動がもたらす新たな喜び」

    たむじょーさんにとってYouTuberとしてのやりがいや魅力を教えてください。

    YouTube活動を始めたことで、オリンピック選手や世界で活躍する選手、さらには箱根駅伝で活躍した選手と話す機会を持てたり、その様子を動画で撮影したりするという機会をいただけるようになりました。そういう方々と関わることができるのは、自分にとって大きな意味を持っています。

    また、自分の動画を見て「目標タイムを達成できました」「練習メニューを取り入れて成果が出ました」といった声をいただくと、本当に嬉しい気持ちになります。誰かの役に立つ活動ができていると実感する瞬間が、何よりの励みになり、「やっていてよかった」と心から思います。

  • 「視聴者を離さないために必要なこと」

    一方で大変な点はどんなところでしょうか。

    YouTubeの世界では、投稿頻度が減ってしまうとすぐに視聴者が離れてしまいます。だからと言って、投稿を続けるだけでは不十分で、内容も妥協はできません。このように「継続してクオリティを保つ」という点が最も難しい部分だと感じています。

    最近では、イベントや企業との仕事など、他の活動とも並行して行っているため、時間やエネルギーの配分を工夫する必要があります。それでも、YouTuberとして長く続けていくためには、継続力と質の維持が何よりも重要だと改めて実感しています。

  • 「ゴールを見据えて走る
    -経験から学んだ目標設定の大切さ-」

    YouTubeの世界で活躍されているたむじょーさんから、この記事を読んでいる中高生に向けて、これからの学生生活を送る上でのアドバイスをお願いいたします。

    学生の頃は、とにかくいろいろな経験を通じて、目標を見つけることが大事だと思います。私は小学校3年生のマラソン大会で1位になったことをきっかけに走る楽しさに出会い、箱根駅伝を見た際に、あの舞台に立ちたいという夢を抱きました。その夢のおかげで、小学校から大学まで陸上競技一筋で努力を続けてきました。

    夢や目標があると、その目標を達成するために、逆算して小さな目標を考えられるようになります。目標がないと進む道がブレたり遠回りしたりすることもあります。マラソンで例えるなら、スタートからゴールまで42kmをまっすぐ進むのと、右へ左へ寄り道しながら50km走るのでは、到達するスピードが大きく違うということです。

    このように、この記事を読んでいる皆さんも、沢山の経験をして、夢中になれるものや目標を見つけ、その目標に向かって進んでほしいと思っています。

  • 私のおすすめの1冊!
    「″ドラゴンボール″から学ぶ。〜漫画がくれる成長のヒント~」

    たむじょーさんが中高生におすすめしたい本とその理由を教えてください。

    私がおすすめしたい本は、漫画の「ドラゴンボール」です。主人公の悟空は普段は″おちゃらけ″ているキャラクターですが、いざやる時には真剣に取り組み、勝利を掴んで目標を達成する姿が描かれています。私は、そのギャップにすごく惹かれ、悟空のような存在になりたいと思いながら日々活動をしています。 

    ぜひ皆さんも、自分が好きな漫画や物語から、こんな風になりたいと思える憧れの存在を見つけてみてほしいです。きっと、そんな憧れが新しい目標や自分を成長させるきっかけを与えてくれると思います!

  • 探究チャレンジ!
    「自分の好きなYouTubeチャンネルの人気の理由を探ろう!」

    たむじょーさんが、中高生に考えてほしい探究テーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「YouTuberは、年齢、国籍関係なく誰でも参加できます。その分、多くの人に見てもらえる人気のチャンネルを作るのは非常に難しいです。

    多くの人に動画を見てもらうためには、「自分だけの強み」や「武器」を見つけて、それを活かすことが大切です。私の場合は「箱根駅伝に出場したこと」を強みとして活用しました。他にも、私は「お笑い芸人になりたい」と思うほど、人を楽しませることが好きでした。そのお笑いの要素を取り入れ、「普段は面白いけど、実はめっちゃ速いランナー」というギャップを見せることができたのです。この工夫のおかげで、多くの人に「面白い」と感じてもらえる動画を作ることができました。

    みなさんが普段見ているYouTubeチャンネルにも、たくさんの人に見てもらえる「人気の秘密」があります。面白い内容や役に立つ情報、分かりやすい説明、楽しい雰囲気など、どんな工夫があるのでしょうか?」

    ー「基本知識」
    YouTubeの人気チャンネルには、次のような工夫がされています。
    ①「内容が分かりやすかったり、面白い」
    役に立つ情報や、楽しく見られる内容となっている。(例:勉強のコツ、料理のレシピ、スポーツのテクニックなど。)
    ②「映像や編集の工夫」
    テロップ(字幕)や音楽を使って、見やすく楽しい動画となっている。
    ③「出演者の個性や魅力」
    出演している人の性格や特技、楽しいトークができる。
    ④「テーマの工夫」
    「つい見てみたくなる内容」や「みんなが知りたいこと」をテーマにしている。


    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「自分の好きなYouTubeチャンネルの人気の理由を探ろう!」

    STEP2『原因の予想』:
    「自分がよく見るYouTubeチャンネルについて、あなたが好きな理由を考えてみよう。」

    STEP3『調べる』:
    「自分の好きなYouTubeチャンネルの動画を見て、次のポイントを調べてみましょう。」
    ①内容:「どんな動画?」 → 面白い、役に立つ、感動するポイントは?
    ②工夫:「どこが見やすい?」 → 編集や映像、音楽、トークの工夫は?
    ③出演者の魅力:「なぜこの人が好き?」 → 明るさ、話し方、特技、個性など。

    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたYouTubeチャンネルがなぜ人気なのか」をまとめてみましょう。
    まとめ方に困ったら、人気の理由を「3つのポイント」に絞ってその詳細をまとめてみるのも、おすすめです。(例:「分かりやすい説明」「楽しいトーク」「面白い編集」などについて詳しく書く)」

J1からJFLまで経験しているプロサッカー選手!
河野選手の挑戦に迫る

河野 諒祐

職業・団体名
プロサッカー選手
出身
神奈川県
学歴
【本町中学校卒業】
秦野曽屋高校卒業
職歴
湘南ベルマーレ-福島ユナイテッド-ヴェルスパ大分-YSCC横浜-水戸ホーリーホック-ファジアーノ岡山-鹿児島ユナイテッドFCーSC相模原
子供の頃の夢
プロサッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部(クラブチーム所属)
  • 「プロサッカー選手を目指したきっかけ」

    河野(かわの)選手が、プロサッカー選手を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

    2002年の日韓ワールドカップを見て、「サッカー選手ってかっこいいな」と思い、近所のサッカーチームでサッカーを始めました。その後、当時、小学5年生だった私は、今J1リーグに所属している湘南ベルマーレの小学生チームに入りました。そこでは、プロの選手と同じ練習場で練習をするため、プロサッカー選手がとても身近に感じられるようになりました。それがきっかけで、少しずつ本気でプロを目指すようになりました。

  • 小学5年生からプロ選手と同じ練習していた経験が、大きく影響しているとのことでしたが「本気でプロになりたい」と感じた瞬間は、どのタイミングだったのでしょうか?

    中学3年生の時、初めてプロチームの練習に呼ばれました。その後、プロの2軍チームメンバーとして試合に出場するようになり、その経験から、サッカー選手が自分にとってよりリアルな存在に感じられるようになりました。その頃から「もしかしたら自分もプロでやれるんじゃないか」という思いが芽生え、憧れだけでなく、本気でプロを目指そうという気持ちに変わりました。

  • 「挫折の経験と改めて気づいた幸せ」

    サッカー選手を目指されていく中で、大変だったことや挫折をした経験などはありましたか?

    正直に言うと、プロを目指す過程で大きな挫折を感じたことはほとんどありませんでした。中高時代には、試合に出られないこともありましたが、それが原因で夢が弱まったり、目標が変わったりすることは一度もなかったです。サッカー選手になるという強い思いは常に持ち続けていました。

  • プロサッカー選手になった後、J1からJFLなど様々なカテゴリーでの経験をされていますが、それぞれのリーグでの経験について教えてください。

    プロ選手として湘南ベルマーレで2年プレーしましたが、20歳の時に契約切れとなりました。それが初めての大きな挫折で、サッカーをやめようかと考えたほどです。でも、その時に「誰も自分を知らない環境でサッカーをしてみたい」という気持ちもあり、仕事をしながらサッカーをするアマチュアリーグ"JFL(日本最高峰アマチュアリーグ)"のチームに移籍することにしました。朝9時から夕方6時まで働いて、夜に練習するという生活で、休みもなかったので、体的にはきつかったですが、普通の仕事も経験したことで、サッカー選手がどれだけ幸せか、改めて感じました。

  • 働きながらサッカーをしていた時期に、サッカー選手のどんなところが「幸せだな」と感じたのでしょうか?

    一番は、観客がいる中で応援されながらプレーできることです。また、普通に仕事をしたことで、サッカー選手を客観的に見る立場になり、好きなサッカーをして生活していけるというのは、本当に幸せなことだと感じて、サッカーで成功したいなっていう思いがより強くなりました。

  • 「夢を追いかける河野選手が語る目標の立て方 」

    ここからは、河野選手の中高生時代のお話を聞かせてください。河野選手は、中高生時代どのような学生でしたか?

    正直なところ、文武両道はあまりできていなかったですね(笑)ただ、サッカー選手になりたいという夢は明確に持っていたので、それを追いかけていた感じです。

  • サッカー選手になるという目標を追いかけて、まさにその目標を達成していると思うのですが、目標の立て方について中高生にアドバイスをお願いします。

    僕の場合はサッカー選手を目指していたので、プロになれるかどうかの大きな分岐点は高校卒業のタイミングだと考えていました。なので、まず高校卒業後にプロ選手になることを目標にして、そこから中学時代にどのぐらい成長しておくべきかを逆算して考えていました。まずは、大きな目標を決めて、それに向かって具体的に行動していった感じです。

  • 中高生に向けて、今のうちに頑張っておいた方が良いこと、考えておくべきことはありますか?

    まずは夢や目標を持って、それに夢中になってほしいです。また、夢や目標を持つ理由、なぜそれをやりたいのかを言語化(言葉や文章に)することが大事だと思います。理由が明確になると、挫折しそうな時でも頑張れるエネルギーが湧いてくると思います。

  • 私のおすすめの1冊!
    「登山家から学ぶ、挑戦し続ける勇気」

    河野選手が中高生におすすめしたい本を教えてください。

    登山家である栗城史多さんの『一歩を超える勇気』はおすすめです。登山は人生のようで、挫折や失敗がある中で頂上を目指すという姿勢が、自分たちの人生にも当てはまると思います。

  • 探究チャレンジ!
    「プロスポーツ選手がセカンドキャリアで困らないようにするには、どんなことが必要か考えてみよう」

    河野選手が、中高生に考えてほしい探究テーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「スポーツ選手は、現役選手のときはとても輝いて見えることが多いですが、実は現役でいられる期間は短く、引退後に新しいセカンドキャリアの問題に直面する選手が多くいます。サッカーの場合、多くの選手が25~26歳くらいで引退すると言われています。

    最近では、現役選手の時から勉強の時間を取り、次のキャリアに備える選手も増えてきましたが、それでも引退後に急に社会に出ると、周りに追いつけなかったり、新しい仕事や活動を見つけるのが難しいことがあるのが現状としてあります。

    たとえば、ある有名なサッカー選手は、引退後にできる仕事がなく経済的な問題に直面しました。こうした問題を防ぐには、どうすればいいでしょうか?ぜひ、みなさんの興味ある分野で、プロスポーツ選手が引退後に困らないためにはどんなことが必要かを考えてほしいです。選手自身が取り組むべきことでも、社会全体で取り組むべきことでもかまいません。この問題が解決すれば、現役時代も引退後の心配をせずに、競技に集中できるようになるはずです。」

    ー「基本知識」
    「”セカンドキャリア”とは、現役を引退した後に新しく始める仕事や活動のことです。プロスポーツ選手は現役時代に大きな成功を収めても、その後のキャリアで苦労することがあります。」


    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「プロスポーツ選手がセカンドキャリアで困らないようにするには、どんなことが必要か考えてみよう」

    STEP2『原因の予想』:
    「なぜプロスポーツ選手はセカンドキャリアで困るのか?原因を考えてみよう。」

    STEP3『調べる』:
    「引退後に成功しているスポーツ選手の例などを探して、彼らがどのように準備していたかを調べよう。(例:選手の時から若手選手の指導をしている、栄養士など資格の取得など)」

    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたことをもとに、スポーツ選手が引退後に困らないようにするためには、どのような支援や現役時代からの準備が必要か考えてみよう。(例:キャリア支援プログラムの活用など)」

みんなが安心して暮らせる公正な社会を作る

千代延 博晃

職業・団体名
検察官
出身
宮崎県
学歴
東京大学法学部卒業
職歴
福岡地検-奈良地検-さいたま地検-福岡地検-鹿児島地検-東京地検立川支部-佐賀地検-福岡地検-佐賀地検-法務省保護局
子供の頃の夢
検察官
中学生の時の部活動
硬式テニス部
  • 「父の背中を追って検察官の道へ」

    千代延(ちよのべ)さんが、現在の仕事についたきっかけを教えてください。

    私は父が副検事(※副検事は、検察官の一種で、主に窃盗事件や交通事件などを取り扱っています。検察事務官として一定の経験を積んだ後、副検事になるための試験に合格すると任官できます。)で、小学校時代まで検察庁の宿舎に住んでい
    たため、周りには検察庁の職員が多く、自然と父と同じ道に進みたいと思うようになりました。小学 6 年生のときの作文には、「将来、司法試験に合格して検察官になりたい」と書きました。また、中学生時代には、父が担当していた裁判を傍聴しに行ったことがあります。そのとき、法廷できびきびと活動する父の姿を見
    て、「かっこいいな」と思い、ますます検察官になりたいという気持ちが強まりました。どんなに困難な事件を担当することになっても「自分がやり遂げるんだ!」と挑戦し、情熱をもって仕事に向き合っている父の姿に、私は大きな影響を受けました。
    大学時代には、狙撃された国松警察庁長官(当時)の講演を聴く機会がありました。彼の「若者よ、治安の分野に来たれ!」という言葉を聞いたとき、治安を守ることの大切さを再認識し、私は検察官になって治安の維持に貢献したいと強く思うようになりました。

  • 小学生6年生の時点で、作文に将来は「検察官になる」と書かれていたようですが、その思いというのはずっと変わらなかったのでしょうか?

    そうですね、逆に言うと、父の影響が大きかった分、視野が狭く深く考えていなかったというのが正直なところです。それでも、その道に自然と進むように感じていたのは、父の背中を見て育ったからこそだったと思います。
    あとは、シンプルに「悪いことをしたらきちんと罰を受ける」という考え方は、自然に受け入れられていたのかもしれません。検察官は社会正義を実現するために真相を解明し、その解明した真実に見合った適切な刑罰を実現するという役割を担っています。自分にとっては、そのような役割を担う立場になることに、全く違和感がなかったので、検察官の道に進むことに迷いがなかったのだと思います。

  • 「検察官ってどんな仕事?」

    検察官の具体的なお仕事の内容を教えてください。

    検察官の主な仕事は、「捜査」と「公判」です。

    「捜査」とは、本当に犯罪があったかどうかを調べて、犯人を突き止めて捕まえたり、証拠を見つけて集めたりすることです。警察がまとめた事件の書類(証拠書類と言います)を読んで、必要があれば警察に追加の捜査を頼んだり、自分で現場に行って確認したりすることもあります。事件で亡くなった人の身体を調べる「司法解剖」に立ち会うこともあります。また、被疑者 (犯罪の嫌疑をかけられている人のことを言います。ニュースなどでは容疑者と呼ばれることもあります。)や被害者、目撃者など事件に関わる人たちから直接話を聞いて、何が真実であるかを自分で見極めながら、有罪の方向、無罪の方向を問わず様々な証拠を集めます。そして、集めた証拠をもとに被疑者を裁判にかけるかどうかを決めます。このとき、検察官は、有罪を立証するために十分な証拠があるからといって、必ず被疑者を裁判にかけるわけではありません。犯罪の重さや反省の程度、年齢、境遇、弁償の有無や被害者の処罰感情など様々な事情を考慮し、刑罰を科すよりも、被疑者の更生を図るべきと判断した場合には、裁判にかけないという判断をすることもあります。被疑者が更生するということは、再び罪を犯してしまう人が減るということであり、犯罪の少ない社会の実現にもつながります。

    「公判」とは、集めた証拠を使って、被告人(裁判で犯罪をしたとして裁判にかけられている人)が犯罪をしたことや、刑罰の重さを決めるための重要な事実を立証し、裁判官に適正な処罰を求める活動です。証拠書類を取り調べる以外に、証人(事件の被害者や目撃者など事件の解決に役立つ情報を提供する人)に質問をしたり、被告人に直接質問したりすることもあります。

  • ”捜査”の仕事は、警察との強い協力のもとで行われてていくのでしょうか?

    捜査の仕事は、警察との密接な連携が欠かせません。多くの事件は、まず警察が一次的には捜査を行い、検察がその事件を引き継ぎます。検察官は、警察から送られてきた事件記録を検討して、必要に応じて追加の捜査を依頼し、警察と連携を保ちながら事件の捜査を進めるのが一般的な流れです。
    また、最終的に公判を担当するのは検察官であるため、公判で自信を持って主張できることが重要です。現場の状況や環境は、写真や書類だけでは完全に把握できないことがあるため、自ら現場に足を運び、直接確認することもあります。警察の捜査を信頼しつつ、それを補う形で捜査を進めるのが検察官の重要な役割です。もちろん、警察の捜査に誤りがないかは常にチェックしており、誤りがあれば是正しています。

  • 「真実を明かし、社会を守る」

    千代延さんが思う検察官の魅力を教えてください。

    検察官の仕事の魅力は、警察と協力して事件をしっかり調べ、真実を明らかにできるところにあります。法律を正しく、そして早く使って適正な刑罰を実現すること、こうしたことを通じて、国民が安心して暮らせる公正な社会を作る手助けをしていることに、とてもやりがいを感じます。

    また、日本では、個人が復讐することは許されておらず、被疑者を裁判にかける権限は検察官だけに与えられています。そのため、適正な刑罰の実現に貢献し、被害者の悔しさや無念を晴らすことは、検察官の大切な役割です。警察などと一緒にチームで真相を解明し、例えば、不合理な言い訳をし続ける被疑者に適正な刑罰を受けさせることができたときには、大きな達成感があります(もちろん、裁判は勝ち負けではないのですが)。

  • 「検察官の大きな責任と重圧」

    一方で、大変だなと感じる点についても教えてください。

    被疑者を逮捕した事件では、被疑者を拘束できる時間は限られていて、その間に真相を解明して処分を決めなければならないのですが、絶対に無実の人を裁判にかけてはいけないという大きなプレッシャーがあります。そのため、大量の資料を時間をかけてしっかり確認したり、少ない証拠をかき集めたりして、どうにか真実にたどり着けるように知恵を絞ります。この作業はとても大変です。また、被疑者を裁判にかけるのか、かけるとして裁判官に対してどのような刑罰の実現を求めるのかを適切に判断するのも難しい仕事です。

  • 検察官のお仕事には、事実をしっかり突き詰めていく責任がある中で、人が人を裁くという重圧や難しさもあると思います。その中で千代延さんは、感情の揺れ動きや判断の難しさに日々のお仕事でどのように向き合っていらっしゃるのでしょうか?

    本当に悩ましい点です。捜査において、人の証言がどれだけ信頼できるか、その証言が真実かどうかを見極めることは非常に難しい点です。私たちは思い込みや決めつけによる誤った判断は避けなければなりません。その一方で、慎重になりすぎて真犯人を逃してしまうということも避けなければなりません。ここが非常にデリケートで、究極のバランスが求められる部分です。こうした状況の中で、どのように証拠を集め、集めた証拠に基づいて冷静に判断するかが毎回の課題です。もちろん、明確な証拠があれば問題はありませんが、実際にはそうしたストレートな証拠がない事件も多く、非常に難しい決断を迫られることが少なくありません。 
    常にその重圧と向き合いながら、どうすれば公正で正しい判断ができるのかを悩みながら進めています。これは、検察の仕事の中でも特に苦しい部分だと感じますが、同時に、それだけ責任の重い仕事をさせてもらえるという意味で、やりがいでもあります。

  • 「社会に対する広い視野、謙虚さ、忍耐強さ、論理的思考」

    検察官になる上で必要なスキルを教えてください。

    検察官になるには、まず司法試験に合格する必要があります。
    また、法律だけでなく、社会の問題を正しく理解し、どう解決するかを見通す力が求められます。そのため、時代の変化にもついていけるように様々な本を読んだり、多くの人の話を聞いたりして、法律以外の分野についても知識を広げることが大切です。
    他にも、常に、犯人がどういう気持ちで行動したのかを想像しながら証拠を集めるため、人の行動や考え方を理解する力、そして常識的な考えを持っていることが重要です。相手の立場に立って考えることを忘れずに、膨大な量の情報を忍耐強く精査する力も必要です。そして何よりも、取調べでは、相手の話を注意深く聞き、正確に理解する力が非常に重要です。その際には、謙虚な姿勢を保つことや、相手を思いやる心が求められます。相手の置かれている状況や感情を理解しようとする姿勢が、真実を引き出す鍵となるからです。

  • 「受験勉強や部活に打ち込んだ学生時代」

    ここからは千代延さんの中高時代のお話も聞かせてください。中高時代はどのように過ごされてきましたか?

    中高時代は、親元を離れて松山市内で寮生活をしていました。父が、転勤が多い仕事だったので、転校しないで済むように、寮のある学校に入学しました。
    そこで、私は硬式テニス部に所属し、高校2年生で引退するまでテニスに没頭していました。寮では、全国から集まってきた仲間たちと勉強や遊びを共にし、楽しい時間を過ごしました。医者や弁護士、裁判官を目指す友人も多く、彼らと切磋琢磨することができ、非常に刺激的な環境でした。

  • まさに“文武両道”を実現されている千代延さんですが、何か意識されていたことありました か?

    確かに、部活は部活でしっかり取り組みながら、宿題や勉強も「先生に怒られたくないから」という理由ではありましたが、さぼらずにやっていたというのはありましたね(笑)。でも、「言われたことを最低限やる」というくらいでした。

  • 法律の世界で活躍されている千代延さんでも、先生に怒られないために宿題をやるという 動機は、この記事を読んでいる多くの中高生たちが親近感を覚えて共感できるものだと思います(笑)

  • 千代延さんが中高生の時に、やっておいて良かったなと思うことはありますか?

    中高生のうちにやっておいて良かったこととして、受験勉強に真剣に取り組んだことがあります。受験勉強を通じて、目標に向かって努力し続ける大切さや、困難を乗り越える力、忍耐力を学びました。これらは、今の仕事で膨大な資料を地道に精査したり、事件の重要な問題点について勉強したりするときに非常に役立っています。
    また、部活動に打ち込んだ経験も大切です。部活ではチームプレーの精神を学びましたが、それは今も、様々な人々と協力して捜査を進める際に役立っています。

  • 私のおすすめの1冊!
    「困ったときに勇気をもらえる言葉集」

    千代延さんが、中高生におすすめしたい本とその理由も教えてください。

    「元気語録400選 竹内均」です。これは、各界の著名人の言葉を集めた本で、困ったときにヒントや勇気をもらえるので、気軽にパラパラとめくってみることをお薦めします。

  • 探究チャレンジ!
    「一度、罪を犯してしまった人が、もう一度罪を犯さないようにするにはどうすればよいのだろうか」

    千代延さんが、中高生に考えてほしい探究テーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「もし、罪を犯して刑務所に入っていた人が、刑務所から出て、あなたたちが住んでいる街に帰ってきたら、あなたはその人に対して何を思い、どう行動しますか?また、その人がもう一度罪を犯してしまうとしたら、どんな理由があると思いますか?
    私は、罪を犯した人を孤独にしてしまうと、やけになってまた犯罪を犯してしまうことがあると考えています。犯罪や更生の問題を、他人事ではなく、自分ごととして考えることが大切です。誰かに寄り添って、その人を理解しようとする姿勢が、社会をより良いものにするために必要だと感じます。
    そこで、皆さんには、人が一度罪を犯してしまったとき、その人が再び罪を犯さないためには、どんな支援や対策が必要か考えてみてほしいです。」

    ー「基本知識」
    「一度罪を犯してしまった人が、もう一度罪を犯してしまうことを「再犯」といいます。再犯を防ぐためには、仕事を見つけたり、社会とつながりを持つことが重要だとされています。例えば、社会復帰を支援するための教育プログラムや、地域社会での支援活動が役立つことがあります。日本では、再犯を防ぐために様々な取り組みが行われていますが、実際には再犯率が高いという問題があります。」

    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「一度、罪を犯してしまった人が、もう一度罪を犯さないようにするにはどうすればよいのだろうか」

    STEP2『原因の予想』:
    「なぜ、人は一度罪を犯した後、再び罪を犯してしまうのでしょうか?その原因を考えてみましょう。(例:社会から孤立してしまったなど)」

    STEP3『調べる』:
    「再犯を防ぐためにどのような対策が行われているかを調べてみましょう。(例:刑務所での教育プログラムや再犯防止のための取り組みについてなど)」

    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたことをもとに、どのような支援や対策があれば、再び罪を犯さないようにできるか具体的な方法を考えてみましょう。(例:刑務所での教育、社会復帰を助ける仕事の提供など)」

僕はこうして漁師になった
─日本最北、礼文島で見つけた“自分らしい働き方”─

石原 裕太郎

職業・団体名
漁師
出身
北海道旭川市
学歴
専門学校卒業
職歴
障がい者施設介護士 - 工事現場(礼文島)- 漁師(礼文島)
<HP>
▶▶イシハラ昆布
子供の頃の夢
学校の先生
中学生の時の部活動
卓球部
  • 「夏は昆布とウニ、冬は“昆布の旅”へ
    ─礼文島の海とともに生きる石原さんの1年─」

    北海道にある礼文島で漁師として活躍する石原さんですが、現在やられている漁師の仕事について教えてください。

    僕がやっている漁師の仕事は、季節によって内容が変わり、夏のメインは昆布とウニの漁です。礼文島では小さな船に乗って、海の中をのぞく ガラス箱という道具を使いながら、棒の先に鉾や網をつけてウニを取ります。昆布は、長い鎌のような道具を使って海から切り取り、陸に上げたら “完全天日干し”という方法で、太陽と潮風だけでじっくり乾かします。このやり方は手間も時間もかかりますが、僕はこの方法にこだわっています。

    秋から冬は、ナマコやアワビ、タコなどの磯物を取ります。それ以外にも、冬は親方の大きな船で沖に出て、タラを取る漁の手伝いをすることもあります。1年を通して見ると、夏に集中して稼ぎ、冬は取れるものが少ないのが礼文島の漁の特徴です。

    そのため、現在では、夏は礼文島で漁をして、冬は全国の人たちに自分の採った昆布を直接届ける“昆布の旅”ということをしています。

  • 「自転車で日本一周の夢が導いた礼文島での人生」

    石原さんは、旭川の出身ということですが礼文島との出会いはなんだったのでしょうか。

    もともと僕は、北海道の旭川市にある障がい者施設で介護士として働いていました。仕事はやりがいもあって楽しかったのですが、「このまま同じ仕事だけで人生が終わってしまっていいのかな」と悩むようになり、本当にやりたいことを考えたときに浮かんだのが、「自転車で日本一周」という夢でした。

    その旅の資金を貯めるために、偶然見つけたのが礼文島でのアルバイトでした。そんな礼文島との出会いから、実際に島で暮らしてみると、大自然の景色に感動して、島の魅力にすっかり惹かれました。そして、自転車旅を終えたあと、「もう一度、礼文島に行って、次は住んでみよう」、そんな想いから僕は礼文島に移住することになりました。

  • 「海とともに生きる姿に惹かれて
    ─暮らして見えてきた“漁師としての道”─」

    礼文島に住んでからは、すぐに漁師になることは決めていたのでしょうか。

    礼文島に移住した当初は、工事現場の日雇いの仕事をしていました。最初は、漁師になりたくて礼文島に来たわけではなく、「とにかく礼文島に住むこと」を考えての移住でした。

    しかし、礼文島はまさに“漁師の町”。当時の人口はわずか3,000人ほどでしたが、農家も酪農家も一軒もなく、ほとんどの人が漁業に関わっている島でした。そんな環境で暮らしていると、仕事の合間にふと目に入ってくるのは、海に出てウニや昆布を採る漁師たちの姿でした。波をかきわけて進む船や、黙々と網を引く背中、その姿を毎日のように見ているうちに、「漁師ってかっこいいな」と、漁師への憧れが強くなっていきました。

  • 「3年越しの一歩
    ─石原さんの漁師人生のはじまり─」

    “漁師”という仕事に憧れてから、石原さんが漁師になるまでの道のりを教えてください。

    漁師に憧れを持ったとはいえ、身近な人に漁業をしている親戚もいない自分にとって、その道は遠く感じられました。「なってみたい。でも、どうすれば漁師になれるのかわからない」そんなもどかしい気持ちを抱えたまま、3年ほどが過ぎていきました。

    転機が訪れたのは、そんなある日のことでした。近所の漁師家族が、「仕事を手伝ってくれる人を探している。手伝ってくれたら、漁業のことを教える。」そう言って従業員として迎え入れてくれたことが、私の漁師人生の始まりでした。こうして、師匠と呼べる存在と出会えたことで、礼文島に移住して3年目、ようやく「漁師としての一歩」を踏み出すことができたのです。

  • 「船・道具・免許…漁師に必要な準備とは?」

    この記事を読んでいる学生に漁師になるために必要な準備などを教えてください。

    漁師になるまでの道のりにはいくつかの方法がありますが、多くの人にとって、最初のステップは「漁を教えてくれる親方(師匠)を見つけること」です。ほとんどの地域では、いきなり一人前の漁師になれるわけではなく、まずは親方のもとで1〜2年ほど修業しながら、漁のやり方や道具の扱いを学んでいきます。

    また、漁師になるには、農家が農協に所属するのと同じように、「漁業協同組合(漁協)」への加入が必要です。漁業協同組合に入ることで、使える漁場や地域のルールが定まります。

    さらに、漁業権を取得することも重要なステップです。これは、漁業協同組合が管理する海でウニや昆布などを採るための許可で、地域によって費用や手続きが異なります。

    また、漁師として独立するには、道具や設備も一通りそろえなければなりません。まずは何といっても船が必要です。礼文島では小型船が一般的に使われています。そのほかにも、ウニや昆布を採るためのガラス箱、鉾(ほこ)、網、鎌といった道具、昆布を干すスペースや作業場など、多くの準備が必要です。

    そして、その船を運転するために必要な、小型船舶免許が必要です。このように、漁師になるにはさまざまなハードルがありますが、ひとつひとつのステップを丁寧に踏んでいくことで、地域に根ざした働き方ができるようになります。

  • 「海と人をつなぐ“昆布の旅”、
    石原さんの新しい挑戦」

    冒頭におっしゃっていた“昆布の旅”についても教えてください。

    “昆布の旅”というのは、僕が家族と一緒にやっている、自分で取った昆布を全国のお客さんに直接届ける活動のことです。僕たちは、これを“昆布の旅”と呼んでいます。僕は、太陽と潮風だけで仕上げる“完全天日干し”という昔ながらの方法にこだわっています。この方法で作った昆布は、香りもよくて、出汁もたっぷり出ます。手間はかかりますが、自分が本当においしいと思う昆布を作りたいので、この方法を大事にしています。

    しかし、私たちの地域では、漁師が取った昆布は通常、漁業協同組合に出荷します。そうすることで、安定した収入が得られたり販売の手間が省けたりするメリットがありますが、どんなに手間ひまをかけてこだわった昆布でも、ほかの昆布と全部同じ扱いになってしまい、自分の昆布ならではの価値をお客さんに伝えられません。

    そこで思いついたのが、自分で昆布を直接届けることでした。冬の間、昆布を車に積んで、家族で日本中を回り、料理人や一般のお客さんに昆布を手渡しで販売します。直接届けると、「美味しかった」「また買いたい」という感想がその場で聞けるし、料理人の方がどう使ってくれたのかも知ることができます。この経験は本当にうれしくて、もうこのやり方はやめられないと思うようになりました。

    今では、夏は礼文島で漁をして、冬は家族で昆布を届ける“昆布の旅”という生活が、僕たち家族の一年のリズムになっています。

  • 「自然とともに生きる
    ─石原さんが語る礼文島漁師の魅力─」

    石原さんにとって、漁師の魅力ややりがいについて教えてください。

    僕にとって漁師のやりがいは、大自然の中で生きている実感を味わえることです。朝、海に出ると、海も空も山も全部が目の前に広がります。「自分って本当にちっぽけだな」と思うと同時に、海や島のおかげでウニや昆布を取らせてもらい、生かされているんだなと心から感じます。

    また、自分の手で作ったものに愛情を込められることも漁師の魅力の一つだと思います。天日干しでこだわって作った昆布を、皆に食べてもらい「美味しかった」と言ってもらえると、「この仕事をやっていてよかったな」と心から思います。自然の中でのびのび働けて、自分の手で作ったものが人に喜ばれる。これが、僕にとって漁師の一番のやりがいです。

  • 「自然の恵みに感謝しながら働くということ」

    一方で漁師として大変と感じていることを教えてください。

    漁師には、いくつか大変な面もあります。ひとつは、収入が安定しにくいことです。たくさん漁ができれば収入は増えますが、海の状況や季節、天候によって思うように漁ができない日もあります。

    また、自然との戦いになることも避けられません。海の仕事は、風が強い日や波が高い日には危険をともないます。命の危険を感じる場面もあり、毎日のように早朝から作業が始まるため、体力も必要になります。

    そして最近では、海の環境変化による影響も深刻です。近年は地球温暖化の影響で海水温が上昇し、礼文島の名産であるエゾバフンウニが大量に死んでしまうこともありました。海の資源が減ってしまえば、どれだけ努力しても漁ができなくなってしまいます。「海そのものが変わってしまうかもしれない」という不安は、漁師にとって最も大きな悩みです。

    でも、こうした大変さがあるからこそ、自然の恵みに感謝しながら働く気持ちをいつも忘れないようにしています。

  • 「後悔しないために今しかできない挑戦をしよう」

    このインタビューを読んでいる学生にメッセージをお願いします。

    中高生のみなさんに伝えたいのは、「今しかできないことが、ある」ということです。僕も、最初は障がい者施設で介護士として働いていましたが、「このままでいいのかな」と思い、自分の本当にやりたいことを考えました。
    勇気を出して自転車一つで旅に出たあの経験が、今の自分――礼文島で漁師として生きている自分へとつながっています。もし、みなさんの中に「やってみたいけど、勇気が出ない」「失敗したらどうしよう」と思うことがあったら、思い切って一歩踏み出してみてください。やらないまま大人になると、きっと後悔すると思います。

    そして、外の世界に出て、いろいろな景色や人に出会ってください。その経験は、いつか必ず自分の力になります。やりたいことがあるなら、今のうちに挑戦してみよう。その一歩が、未来の自分をつくると思います。

  • 私のおすすめの1冊!
    「一緒に旅した1冊、中高生におすすめしたい『旅をする木』とは?」

    石原さんが中高生におすすめの本を紹介してください。

    僕が中高生におすすめしたい本は、星野道夫さんの『旅をする木』です。この本は、僕が自転車で日本一周の旅をしていたとき、屋久島で出会ったお兄さんが「これ持っていけ」と手渡してくれました。旅の間ずっとリュックに入れていて、僕にとってはまるで“旅の仲間”のような本でした。『旅をする木』を読むと、日本や世界は本当に広いんだなと感じます。自分の知らない景色や、遠い場所で暮らしている人たちの生活を想像すると、「もっと外の世界を見てみたい」と思えてくるんです。

    中高生のみなさんには、自分の生まれた町だけで人生を終わらせないでほしいと思います。本を通して旅をする気分を味わい、ときには実際に外の世界に出て、いろいろな景色や人に出会い、自分の世界を広げてみてください。

  • 探究チャレンジ!
    「未来の海や漁業を守るために、私たちにできることは何だろう?」

    石原さんが、中高生に考えてほしい探究テーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「ここ数年、礼文島の海の水温が上がってきています。その影響で、海の生き物のすみかや数が変わってきました。たとえば、北海道では、今まで採れていなかったブリがとれるようになったり、逆に、温度に弱いエゾバフンウニが大量に死んでしまったりしています。普段の生活の中では、あまり意識することはないかもしれませんが、地球温暖化や海洋環境の悪化は、遠くの話ではなく、将来、食卓に並ぶ魚介類が減ることにつながります。
    だからこそ、地球温暖化や海の環境の変化を「自分には関係ないこと」と思わずに、今できることを考えてほしいのと思います。ゴミを減らす、電気を大切に使う、そんな小さなことが、未来の海を守る力になると信じています。海の今と未来について、ぜひ考えてみてください。」

    ー「基本知識」
    「日本の海の平均水温は年々上昇しており、海の生き物のすみか(分布)が変化しています。また、地球温暖化や海洋環境の悪化は、海の生き物だけでなく、食や仕事にもつながる身近な問題です。」

    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「未来の海や漁業を守るために、私たちにできることは何だろう?」

    STEP2『原因の予想』:
    「なぜ、海の生き物が減ったり、漁師の仕事に影響が出たりしているのか、原因を考えてみよう。(例:地球温暖化による水温上昇/海の汚れ/プラスチックごみの増加 など)」

    STEP3『調べる』:
    「地球温暖化や海の環境の変化について、どんな影響があるのか、どんな対策が行われているのかを調べてみよう。(例:エゾバフンウニの減少、ブリの北上、海洋プラスチック問題、漁師の声や取り組みなど)」


    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたこともとに、未来の海と漁業を守るために、どんな行動や取り組みができるか考えてみよう。(例:地元の魚を選んで食べるキャンペーンを企画する/ゴミ拾いやエコ活動を地域で広める/温暖化をテーマにしたポスターやSNS発信で多くの人に伝えるなど)」

日本の労働力不足を解決する
―外国人人材紹介事業のお仕事とは―

宮城 勇也

職業・団体名
外国人人材紹介と派遣の事業
出身
沖縄県
学歴
大卒
職歴
コザ児童相談所→JICA海外協力隊→株式会社NINAITE
<会社HP>
▶▶株式会社NINAITE

<YouTubeリンク>
▶▶ハタラク×JAPAN
子供の頃の夢
宇宙飛行士
中学生の時の部活動
テニス部
  • 「世界と日本をつなぐ人材の架け橋となる」

    宮城さんが働いている株式会社NINAITE(ニナイテ)とは、どのような会社か教えてください。

    私が働いている「株式会社NINAITE」という会社は、日本で働きたいという想いがあり、日本語を学んできた外国籍の人と、人手が足りなくて困っている日本の会社をつなぎ、日本の企業さんの労働力不足を解決する人材紹介の会社です。

    外国籍の人が働く分野はいろいろあり、農業、介護、飲食料品の工場、宿泊業、外食のお店、ビルの掃除などです。今は、ベトナム、ネパール、ミャンマー、インドネシア、カンボジア、スリランカ、ウズベキスタンなど、さまざまな国の人が登録しており、日本全国各地で活躍しています。

  • 「チーム連携を支える取締役事業本部長としての宮城さんの役割」

    宮城さんは、株式会社NINITEの中で、取締役事業本部長としてどのような役割を担当しているのでしょうか。

    取締役事業本部長として、会社の様々な部署を管理する役割を担っています。会社には、外国人人材の方達の新しい仕事を見つける営業チーム、在留資格の書類を作成をするチーム、お客様や働く外国籍の人をサポートするチーム、人材を育てるチームなどがあります。私は、それぞれのチームの仕事の進み具合を確認したり、困っていることがあれば相談に乗ったり、チーム同士がうまく協力できるように指示や調整をしたりしています。

    昔は、私自身も営業をしたり、実際に外国籍の方たちが日本語を学んでいる学生さんたちのサポートをしたりしていました。そのときの経験があるからこそ、今は全体を見ながら『ここはこうしたほうがうまくいく』と考えられるようになりました。

  • 「言語・文化の壁、異国の地で働くために不安を少しでも減らすために
    ーただ外国人人材を紹介して終わりではない組織づくりー」

    外国籍の人を、日本の会社に紹介し、日本で働いてもらう。その過程には、外国籍の人、そして人材を受け入れる会社との間で、言語や文化の違いなど、困ることはないのでしょうか。

    私たちの会社は、ただ外国籍の人材を企業に紹介するだけではありません。外国籍の人たちが日本に来る前から、日本語の勉強や、日本で生活するためのルールや文化を教えるなどのサポートもしています。

    また、人材を受け入れる会社に対しては、社内で使うマニュアルを外国語に直したり、派遣されてくる外国籍の人の国の文化を理解するための勉強会を開いたり、入国前にオンラインで交流会を行ったりしています。

    さらに、日本に来てからも、現地の言葉を話せるスタッフが、日本に来た外国籍の人と定期的に面談をして、仕事や生活で困っていないかを確認します。そして、人材を受け入れている会社にも、働き方やコミュニケーションの工夫についてアドバイスをしてサポートします。こうして、お互いに安心して働けるように寄り添っています。

  • 「株式会社NINAITEが目指す未来」

    株式会社NINAITEが目指している未来について教えてください。

    私たちの会社が目指しているのは、「外国籍の人も、会社も、地域も、みんなが助かる関係」をつくることです。日本の地方の会社では、今、人手不足という大きな課題を抱えています。一方で、日本で働きたいという熱い想いを持った外国籍の人たちが世界中にいます。私たちは、この両者をつなぐ架け橋となり、単なる人材のマッチングにとどまらず、人と人、文化と文化、地域と世界を結ぶ存在でありたいと考えています。

    外国籍の人たちが日本で安心して働ける環境を整えることで、地域の企業が元気になり、地域社会全体が活性化していく。そんな循環を生み出すことが、私たちNINAITEの使命であり、これからの日本社会に必要な未来だと信じています。

  • 「宮城さんが外国人支援の仕事を選んだ原点とは?」

    宮城さんが株式会社NINAITEに勤めることになったきっかけを教えてください。

    私がこの仕事を始めたきっかけは、JICA海外協力隊としてセルビアで活動した経験です。セルビアでは、私自身が「外国人」として現地に住み、働きながら、多くのことを学びました。その中で、「日本で働いている外国籍の人は、どんな生活をしているのだろう?」という関心が強くなっていきました。

    帰国後は、実際にその現状を自分の目で確かめたいと思い、外国人技能実習生を支援する団体でアルバイトを始めました。現場を見て感じたのは、「このままでは、日本は外国籍の人たちに選ばれない国になってしまうかもしれない」という危機感でした。

    日本では、少子高齢化による人手不足が深刻な課題となっています。だからこそ、日本の社会が、これからも外国籍の人たちに「ここで働きたい」と思ってもらえるように努力し続けることが、とても大切だと実感しました。こうした自身の経験を通じて、「日本と外国籍の人をつなぐ仕事がしたい」という思いが芽生え、今の仕事にたどり着きました。

  • 「企業と外国籍の人が共に未来を築き、成長する未来へ」

    宮城さんが、この仕事で大切にしていることを教えてください。

    私は、日本を選んでくれた外国籍の人と、日本の企業が一緒に成長していくことを大切にしています。今の日本は人手不足が深刻で、大事な日本の産業を支えていた多くの会社がなくなってしまっている現状があります。だからこそ、私たちは、ただ人手不足を埋めるために外国籍の人を紹介するだけではなく、外国籍の人を受け入れる会社と一緒に、『どうすれば人手不足を本当に改善できるか』を考え、課題の解決をお手伝いしています。

    この取り組みを通じて、外国籍の人も会社も、そして地域も、一緒に成長することができます。そして、その活動によって、私が働く株式会社NINAITEも成長し、その成長が私自身の成長にもつながっています。

  • 「宮城さんが語る、この仕事の一番の魅力」

    宮城さんにとって株式会社NINAITEでのやりがいを教えてください。

    私がこの仕事で一番やりがいを感じるのは、外国籍の人が日本で働くという夢をかなえる瞬間に立ち会えることです。人生の大切な分かれ道、いわゆるターニングポイントに、自分も関われているんだと感じるとき、この仕事は本当に素敵だなと思います。

  • 「課題に向き合いながら築く安心できる職場づくり」

    一方で、大変と感じる点についても教えてください。

    外国籍の人を「働いてもらう人材」として受け入れるだけで終わってしまう企業は、残念ながらまだ少なくありません。しかし、本来あるべき姿は、外国の人を受け入れることをきっかけに、企業自身も組織として変化し、成長していくことだと私たちは考えています。受け入れる側が変わらなければ、いくら優秀な人材がいても、互いに理解し合えず、安心して長く働くことはできません。そうした現場に向き合うなかで、私たちも多くの難しさやもどかしさを感じます。

    それでも私たちは、企業と外国籍の方との間に立ち、声を聞き、時には双方に働きかけながら、少しずつ「本当に安心して働ける環境」を築いていきます。一方通行ではなく、お互いが歩み寄り、支え合える関係性をつくること。それこそが、これからの日本社会に必要な“共生”のかたちだと信じています。

  • 「海外経験が未来のキャリアを広げる」

    この記事を読んでいる学生が宮城さんのような仕事に就くために、今のうちから頑張っておくべきことや必要なことがあればアドバイスをお願いします。

    ぜひ、皆さんには、一度は、日本を出てみる経験をしてほしいと思います。これからの日本は、日本人が減り、外国籍の人がどんどん増えていきます。皆さんが大人になって働くころには、外国籍の人と一緒に仕事をすることが当たり前の世の中になっているでしょう。だからこそ、外国の文化や考え方にふれる経験をしておくと、将来、自然に生活したり、一緒に仕事をしたりできるようになります。

    また、海外に出てみると、『世界から見た日本はこうなんだ』ということを、自分の経験として実感できます。このような体験することは、将来の可能性を大きく広げてくれる、とても大切な経験になると思います。

  • 私のおすすめの1冊!
    「中高生に届けたい、人生の視野を広げる一冊」

    宮城さんが中高生におすすめしたい本を教えてください。

    私が皆さんにおすすめしたいい本は、森岡毅さんの『苦しかった時の話をしようか』という本です。森岡さんは、たくさんの企業の挑戦に関わってきた経営戦略のプロで、『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)』の経営回復に携わったことでも知られています。さらに最近では、沖縄のテーマパーク『ジャングリア』のプロジェクトにも関わっています。

    この本の特徴は、森岡さんが自分の子どもに宛てた手紙をもとにしていることです。「もし父親としてではなく、ひとりの大人として子どもに何かを伝えるとしたら」という形で、人生や可能性についてのメッセージが書かれています。私はそれを読んで、「子どものころにこんな考え方に出会えていたら、自分の生き方はもっと広がったかもしれないな」と思いました。

    私たち一人ひとりには大きな可能性があります。でも、自分がこれまでに見てきた世界や経験の中だけで考えていると、その可能性に気づきにくいことがあります。少し視野を広げるだけで、見えてくる世界や選べる道はたくさんあります。私自身、大人になった今でも「自分の可能性を広げること」を意識しています。中学生のみなさんにも、ぜひそんな気持ちを持って、いろいろなことに目を向けてみてほしいなと思います。

  • 探究チャレンジ!
    「外国籍の人と日本人が、気持ちよく一緒に働くためには、どんな工夫ができるか考えてみよう」

    宮城さんが、中高生に考えてほしい探究テーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「私の仕事は、日本で働きたい外国籍の人を日本の企業に紹介し、日本で活躍してもらうことです。実際に、多くの外国籍のメンバーが、全国各地でさまざまな分野の仕事に取り組んでいます。しかし、うまくいくことばかりではなく、外国籍の人が日本の文化に慣れなかったり、反対に、人材を受け入れている企業側が、外国籍の人とうまくコミュニケーションを取れなかったりすることがあります。このような問題をなくすために、私たちの会社でも、外国籍のメンバーが日本で安心して働けるように、さまざまなサポートをしています。
    そこで、ぜひ皆さんにも、外国籍の人と日本人が気持ちよく一緒に働くには、どんな工夫ができるかを考えてみてほしいです。皆さんが大人になって働くころには、外国籍の人と一緒に仕事をすることが当たり前の世の中になっていると予想されます。みんなが安心して働ける社会をつくるためのアイデアを自由に考えてみてください。」

    ー「基本知識」
    「現在、日本で働く外国人は約200万人います(厚生労働省 2023年)。 これからは、少子高齢化の影響で、日本で働く外国人はさらに増えると予想されています。」

    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「外国籍の人と日本人が、気持ちよく一緒に働くためには、どんな工夫ができるか考えてみよう」

    STEP2『原因の予想』:
    「なぜ、外国籍の人が日本で働くときに困ることが起きるのか、理由を考えてみよう。(例:日本語がむずかしい/働き方のルールや文化がちがう/お互いに話す機会が少ない)」

    STEP3『調べる』:
    「外国籍の人が日本で働くときにどんな困りごとがあるのか、また、うまくいくための工夫があるかを調べてみよう。(例:ニュースやインタビューで、外国籍の人の働き方やサポートの事例を調べる」
    ▶《参考》【特定技能外国人の雇用・活用・受入事例 | 株式会社NINAITE】

    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたことをもとにして、みんなが安心して働ける社会をつくるために、あなたならどんな工夫や新しい取り組みを考えるかまとめてみよう。(例:お互いのことを理解するための交流の場として、体育祭や文化祭で外国人も参加できる体験コーナーを作る(世界のじゃんけん大会/国ごとの音楽でダンス企画)など)」

家、信頼、未来をつくる
― 大工職人の仕事に迫る ―

馬場 和樹

職業・団体名
大工職人
出身
青森県
学歴
岩手県立福岡工業高校卒業 - ポラス建築技術訓練校
職歴
大工(ポラスグループ)入社。
2017年度『青年優秀施工者土地・建設産業局長顕彰(建設ジュニアマスター)』受賞→→顕彰受賞記事はこちら
子供の頃の夢
手に職をつけること/
体を動かす仕事
中学生の時の部活動
野球部
  • 「家づくりはプラモデルみたい?進化する大工のしごと」

    現在、馬場さんがやられている大工職人のお仕事についてどんなお仕事内容か教えてください。

    大工の仕事は、みなさんがよく知っているように、家を建てることですが、その工程は沢山あり、まず柱を組んで土台を作る「骨組み」から始まります。その後、床や壁、階段などを少しずつ仕上げていきます。

    最近では、作業ごとに専門職が分担する「分業制」が一般的になっています。昔は木材の加工を現場で行っていましたが、今は工場で部品を準備し、現場で組み立てる方法が主流です。まるで大きなプラモデルを作るような作業です。
    こうした変化の背景には、大工の減少という課題があり、工場の技術と職人の技能を組み合わせ、効率よく家を建てる工夫が進められています。

  • 様々な工程があるなかで馬場さんは、現在どの工程を担当されているのでしょうか。

    現在は、壁紙の下にある「石こうボード」などの下地作りを主に担当しています。完成後には見えなくなる部分も多いですが、一つひとつの作業に手を抜かず、ていねいに仕上げることがとても大切です。見えない部分の精度が、家の強さや美しさにもつながっていくからです。

  • 「進路に迷った高校時代、出会ったのは“建てる仕事”」

    馬場さんが、大工を目指したきっかけはなんだったのでしょうか。

    機械系の高校に通っていた高校生時代、「本当にやりたいことは何か」と悩んでいた私は、町で家が建つ様子を見て建築に興味を持ちました。当時の私は建築について何も知らない初心者だったため、「一から建築を学びたい」と思い、高校の先生に相談したところ、いくつかの会社を紹介してもらいました。その中で、基礎から技術を学べる訓練校のあるポラスグループに出会い、「ここなら挑戦できる」と感じて大工の道を選びました。

  • 「働きながら通える“大工の学校”」

    ポラスグループの訓練校とは、どういったものなのでしょうか。

    訓練校というのは、会社が社員として訓練生を採用し、給料を支払いながら仕事に必要な技術を一から学べる仕組みです。訓練期間が終わったあとは、そのまま現場で社員として働くことができます。私が入ったポラスグループには「ポラス建築技術訓練校」という制度があり、建築のことを何も知らなかった私でも、基礎から安心して学ぶことができました。

    〈詳しくはコチラ〉
    →→ポラス建築技術訓練校|【POLUS】ポラスグループ|住まい価値創造企業


  • 中学生の皆さんは高校進学の際に、どの学科に行くか迷っている生徒も多いと思います。馬場さんが、機械系の学科に進んだ理由を教えてください。

    私の場合、中学生の頃、高校進学を考える中で「なんとなく将来につながる学科を選びたい」と思うようになりました。そこで、パソコンで作業よりも実際に体を動かして働く方が自分に合っていると感じ、実際に手を動かしてものづくりができる工業系の道を選び、機械科へ進学しました。

  • 「体力、対応力、そして信頼。求められる力は1つじゃない」

    馬場さんにとって大工のお仕事の魅力を教えてください。

    (※1)注文住宅ではお客様と直接話す機会があり、設計図をもとに間取りを一緒に考えながら家づくりを進めます。お客様からの要望にしっかり応えることができたときには、大工としての誇りを感じます。そして何よりも、完成した家を見たお客様から直接「ありがとう」と感謝の言葉をもらえると、この仕事を選んで本当によかったと思えます。

    (※1)注文住宅…お客様の希望するデザインや間取りに合わせて建てる新築の家のこと。

  • 一方で、大変なところも教えてください。

    大工の仕事は、体力勝負でもあります。夏の暑い日もあれば、冬の寒い日もあって、天候に関係なく現場で作業しなければならないのは、正直大変です。
    また、お客様のご要望に応えるためには、ただ図面通りに作るだけではなく、現場での臨機応変な対応も必要になります。「ここはもう少しこうしたい」といった要望があった際には、現場で柔軟に対応する力も求められます。こうした意味で、体力だけじゃなく、気配りや対応力も問われる仕事だと感じています。

  • 「確かな技術と信頼が、現場を支えている」

    大工として活躍する上で必要なスキルや資格はありますか?

    大工の仕事は特別な資格がなくても始められますが、一人前になるには技術や知識を学ぼうとする意欲が欠かせません。「上手くなろう」と一生懸命に技術や知識を身につけようとする気持ちがとても大切です。また、大工は一人で黙々と作業する印象がありますが、実際は多くの人と協力しながら建物を完成させる仕事です。だからこそ、同僚やお客様から信頼されるためには、コミュニケーション力や周囲への気配りも重要です。※ポラス建築技術訓練校では、技能以外にも資格取得が可能です。

  • 「ずっと安心して暮らせる家を」

    馬場さんが、大工として大切にしていること教えてください。

    私が、大工として大切にしていることは、「安全に作業し、安全な家をつくること」です。大工の仕事は、ただ家を完成させれば終わりではありません。その家に住むお客様が、引き渡しのあとも安心して、幸せに暮らし続けられることが一番大切です。だからこそ、家を建てている時は安全第一であることはもちろん、安全に長く住んでもらえるような家をつくることを意識して、日々の作業にも細かく気を配っています。

  • 「うまくいかなくても、大丈夫。それも大事な経験」

    この記事を読んでいる中高生に馬場さんのこれまでの経験からアドバイスをお願いします。

    「好きだな」と思えることがあれば、ぜひなんでも挑戦してほしいと思います。たとえうまくいかなくても、その経験は決して無駄にはなりません。学生のうちは、多少の失敗なら、よい思い出になります。今のうちにしかできないことに、たくさんチャレンジしてみてください。

  • 私のおすすめの1冊!
    「本でも動画でも。まずは好きなことから気楽に始めてみよう」

    中高生におすすめしたい本を教えてください。。

    昔から漫画や本が好きで、スポーツを始めたのも漫画の影響でした。おすすめを1つに絞ることが難しいですが、「ちょっと気になる」と思った本や漫画があれば手を伸ばすことが大切かと思います。無理に続けるよりも、好きなことなら自然と楽しんで続けられます。今は本でも動画でも無料で閲覧できるコンテンツも整っているので、自分の「好き」から始めてみてほしいと思います。

  • 探究チャレンジ!
    「若い人が、大工の仕事を長く続けられるようにするにはどんな工夫ができるか考えてみよう」

    馬場さんが仕事の中で取り組んでいる問題や社会的課題について、中高生に考えてほしいテーマを教えてください。

    ー「考えてほしいこと」
    「建設業界では人手不足が深刻で、若い人が入ってもすぐに辞めてしまうケースが多くあります。昔のような弟子制度は時代に合わなくなっており、今は新しい教育や働き方の工夫が求められています。そこで、この記事を読んでいる皆さんには、建設業界で若い人が働き続けるためには、どんな工夫をすれば働きやすい職場になるのか考えてみてほしいです。」

    ー「基本知識」
    「1990年代には約690万人いた建設業の就業者は、2022年には約480万人まで減少しました。さらに、高校卒で建設業に就いても約40%が3年以内に離職しています。その理由の一つに、大工の仕事の入社前のイメージと異なる点があることが挙げられます。そうした課題に対して、ポラスグループでは30年以上前から「訓練校」を設け、未経験者が基礎から学べる環境を整えています。寮生活を通じて仲間との信頼関係や協力の大切さを実体験しながら、「人と働く力」を身につけられる点も、この訓練校の大きな特長です。」


    ↓↓ここからはワークシートとともに学習を進めていこう!!
    ー「学習の進め方」
    STEP1『探究テーマ』:
    「若い人が、大工の仕事を長く続けられるようにするにはどんな工夫ができるか考えてみよう」

    STEP2『原因の予想』:
    「大工の仕事の入社前と入社後のイメージと異なる点は、どんな点だろう。(例:イメージしていたよりも体力的にきつい、職場での人間関係やコミュニケーションが難しいと感じてしまうなど)」

    STEP3『調べる』:
    「若い人が大工として長く働き続けるために、社会ではどんな工夫をしているのかを調べてみよう。(例:企業が若い人のために行っている教育やサポートの取り組みを調べる。)」
    〈参考〉→→ポラス建築技術訓練校|【POLUS】ポラスグループ|住まい価値創造企業
    STEP4『解決方法を考える』:
    「調べたことを参考に、若い人が、働きやすくなるために、どんな職場の工夫や教育のあり方が必要かを考えよう。」

スイーツの世界へようこそ!
~パティシエの魅力に迫る~

堀口  豊

職業・団体名
パティシエ
出身
神奈川県
学歴
【藤沢第一中学校卒業】
国際フード製菓専門学校
製菓製パン科
職歴
西鎌倉レ・シュー-ケーキハウス 幸せの丘-しあわせのお菓子ツリーオーブン
子供の頃の夢
プロ野球選手
中学生の時の部活動
野球部

東京パラリンピック銀メダリストに聞く
選手と仕事を両立するアスリート社員とは?

鈴木 亜弥子

職業・団体名
アスリート社員
(東京パラリンピック銀メダリスト)
出身
埼玉県
学歴
【栄進中学校卒業】
東京経済大学卒業
職歴
一般企業-アスリート社員(銀行員) -日本パラスポーツ協会
子供の頃の夢
猫カフェで働くこと
中学生の時の部活動
バドミントン部

いつか操縦してみたい
幼き頃の夢を叶えて大空に!

嘉山 元気

職業・団体名
パイロット
出身
神奈川県
学歴
桜美林大学フライトオペレーションコース卒
職歴
JAL-日本航空株式会社日本航空株式会社
子供の頃の夢
パイロット
中学生の時の部活動
水泳部

町を走り、町の魅力を届ける

伊藤 正臣

職業・団体名
俥夫(人力車運転手)
出身
神奈川県
学歴
【南足柄市岡本中学校】
短大卒業
職歴
真珠養殖ー家具の配送ー園芸店員ー小田原観光人力車 人車屋
→→小田原観光人力車 人車屋 
子供の頃の夢
コメディアン
中学生の時の部活動
バレーボール部

未来のサッカー選手を支える
フィジカルコンディショニングコーチの役割とは

小山 大貴

職業・団体名
スポーツトレーナー
(清水エスパルスJY三島 フィジカルコンディショニングコーチ) 
出身
栃木県
学歴
【市貝中学校卒業】
国際医療福祉大学 保健医療学部 理学療法学科卒業
職歴
フジ虎ノ門整形外科病院ー清水エスパルスジュニアユース三島
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

医療とAIが交わる未来へ!
医学と工学の架け橋に

東郷 三四郎

職業・団体名
医師
出身
静岡県
学歴
職歴
浜松医科大学病院
子供の頃の夢
医師
中学生の時の部活動
サッカー部

農業で笑顔をつなぐ

井上 和樹

職業・団体名
農家
出身
神奈川県
学歴
【長後中学校卒業】
専修大学文学部
職歴
フリーター‐湘南Farm かずみ園
子供の頃の夢
高校教師
中学生の時の部活動
バスケ部

大好きな[スポーツ✖アフリカ]で
「挑戦者」を生み出したい

棚原 彩

職業・団体名
アパレルブランド経営✖講演家
出身
大阪府
学歴
【山田東中学校卒業】
大阪体育大学卒業
職歴
JICA海外協力隊(タンザニア/体育教師)-Pa moja代表
子供の頃の夢
アフリカの大草原で動物たちと駆け回る
ユニバーサルスタジオジャパンのお姉さん
中学生の時の部活動
野球部

全国の子どもたちが、
「学校が好き」 と言える世の中を目指して

岡本 真穂

職業・団体名
国家公務員(文部科学省)
出身
兵庫県
学歴
大阪府立大学(現・大阪公立大学)卒業
職歴
文部科学省(初等中等教育局児童生徒課生徒指導室生徒指導第一係) ー 文部科学省(総合教育政策局地域学習推進課家庭教育支援室家庭教育振興係)
子供の頃の夢
小学生の時キャビンアテンダントに憧れた時期がありましたが、英語がとても苦手だったので、早々に断念しました。
中学生の時の部活動
バドミントン部

お客さんがお店に来るには秘密があった!
〜データ分析でお店を支える〜

齊藤 和也

職業・団体名
ホームセンター企画部
出身
神奈川県
学歴
法政大学デザイン工学部システムデザイン学科
職歴
【株式会社カインズ】カインズ 御殿場店 ‐カインズ 香取小見川店 - 次世代推進統括部次世代店舗オペレーション開発室 - Style Factoryららぽーと湘南平塚店 - 店舗改装企画部販売効率改善グループ
子供の頃の夢
料理人
中学生の時の部活動
卓球部

より良い国の仕組みやルールを考えたい!
私がルールを作れる官僚になった理由とは

西村 七瀬

職業・団体名
国家公務員(法務省 保護局)
出身
神奈川県
学歴
【荻野中学校卒業】
青山学院大学-一橋大学大学院 
職歴
法務省保護局総務課-仙台保護観察所-法務省大臣官房会計課-法務省大臣官房人事課-厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課-法務省保護局総務課(被害者等施策班)
子供の頃の夢
医者、獣医
中学生の時の部活動
陸上部

子どもたちの成長を支える挑戦

深井 昌子

職業・団体名
幼稚園教諭・保育士
出身
静岡県
学歴
静岡大学教育学部
職歴
保育士
子供の頃の夢
獣医
中学生の時の部活動
家庭部

動物が好き!から始まったトリマー人生

竹内 侑子

職業・団体名
トリマー
出身
大分県
学歴
どうぶつ専門学校卒業
職歴
一般企業-ペット専用美容室
子供の頃の夢
パン屋さん
中学生の時の部活動
吹奏楽部

1つの洋服が世に出るまで
そこには沢山の人の思いがあった

加藤 快

職業・団体名
モデル
出身
神奈川県
学歴
【湘洋中学校卒業】
日大藤沢高校-日本大学
職歴
アパレル-モデル
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

探究心をくすぐる場所で働きたい!
〜なんとかなる!根拠ない自信でドイツへ〜

平 一馬

職業・団体名
設計士
出身
神奈川県
学歴
【大谷中学校卒業】
法政大学大学院
職歴
Kaufmannbau (ドイツ)
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

地域の代表としてあなたの住む街の課題に取り組む市議会議員のお仕事とは?

齋藤 仁礼

職業・団体名
政治家(元市議会議員)
出身
神奈川県
学歴
東海大学 政経学部卒業
職歴
一般企業-厚木市議会議員-厚木市議会議長
子供の頃の夢
野球選手
中学生の時の部活動
野球部

火事現場でのリアルな仕事!
消防士が語る「命の最前線」

田中 修平

職業・団体名
消防士
出身
岡山県
学歴
大学卒業
職歴
消防士
子供の頃の夢
警察官
中学生の時の部活動
陸上競技部

生命の誕生に寄り添う
‐当たり前じゃない奇跡‐

羽生 悦子

職業・団体名
助産師
出身
神奈川県
学歴
看護学校卒業
職歴
介護士-助産師
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
吹奏楽部

挑戦と転機
〜理学療法士から大学の先生へ~

松本 千晶

職業・団体名
大学助教授
出身
栃木県
学歴
【星が丘中学校卒業】
国際医療福祉大学 学士(理学療法学)
国際医療福祉大学大学院 修士(医療福祉教育・管理学)
職歴
順天堂大学練馬病院リハビリテーション科-医療法人社団顕伊会さい整形外科-株式会社東京リハビリテーションサービス-助教授(国際医療福祉大学理学療法学科)、女子サッカーチーム監督、社会人サッカーチームトレーナー
子供の頃の夢
サッカーに関わる仕事
中学生の時の部活動
サッカー部

OLから看護師の道へ
集中治療室で助けられた私が目指したもの

阿部 未佳

職業・団体名
看護師
出身
東京都
学歴
【落合中学校卒業】
看護専門学校卒業
職歴
事務・経理-看護師
子供の頃の夢
幸せに生きる!
中学生の時の部活動
バレー部

アパレル業界への挑戦!大好きな服を届けたい

栗山 里於

職業・団体名
アパレルショップ店長
出身
東京都
学歴
【荒川第4中学校卒業】
拓殖大学
職歴
国内ジーンズメーカー企画職-アパレルショップRill店主
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

私が女性警察官として成し遂げたいこと

野村 早紀

職業・団体名
警察官
出身
石川県
学歴
大学卒業
職歴
子供の頃の夢
ピアノの先生
中学生の時の部活動
剣道部

誰もが夢に向かって努力できる社会へ!
NPO法人アラジの挑戦

下里 夢美

職業・団体名
シエラレオネ共和国支援団体
NPO法人(Alazi Dream Project)
出身
山梨県
学歴
【春日居中学校卒業】
桜美林大学 リベラルアーツ学群 国際協力専攻 卒業
職歴
NPO法人アラジ 代表理事/現地法人JaSiLe Foundation 代表/筑波大学 非常勤講師
子供の頃の夢
漫画家
中学生の時の部活動
吹奏楽部(トランペット)

<YouTubeリンク>
→→TED×KeioU登壇トーク

おもてなしのプロに聞く!
ホテリエのやりがいとは

綾瀬 みずき

職業・団体名
ホテリエ(ホテルスタッフ)
出身
東京都
学歴
専門学校卒業
職歴
ホテルスタッフ
子供の頃の夢
お花屋さん
中学生の時の部活動
バドミントン部

がん患者との出会いが私を変えた
私の薬剤師としての使命感

日高 里奈

職業・団体名
薬剤師
出身
宮崎県
学歴
薬科大学卒業
職歴
宮崎県庁薬剤師
子供の頃の夢
医師、獣医師
人助けになるような仕事をしたい
中学生の時の部活動
バドミントン部

飲食店を通して広がる輪

小谷 翔平

職業・団体名
カフェ&バー店員
出身
千葉県
学歴
駒沢大学-専門学校
職歴
一般企業-カフェ‐チョコレート屋さん-一般企業-カフェ&バー(Terra Cotta)
子供の頃の夢
バリスタ
中学生の時の部活動
バトミントン部

みんなの一日の始まりを支える電車運転士とは?

森田 亮介

職業・団体名
電車運転士
出身
岡山県
学歴
東海大学卒業
職歴
鉄鋼会社-大手鉄道会社
子供の頃の夢
電車の運転手
中学生の時の部活動
生徒会

私の願いは
人間と動物がずっと幸せに暮らせる社会!

野中 和希

職業・団体名
獣医
出身
岩手県
学歴
大学卒業
職歴
動物病院
子供の頃の夢
パン職人
中学生の時の部活動
バスケットボール部

髪を通じてお客様の人生に寄り添う!
~美容師の魅力とは? ~

川崎 昭太郎

職業・団体名
美容師
出身
兵庫県
学歴
淡路中学校-大阪ビューティーアート専門学校卒
職歴
20歳で上京し就職-21歳でスタイリストに昇格-23歳で1社目を退職し、2社目にアシスタントとして就職-25歳でスタイリストに再昇格-27歳で店長に就任-28歳で役員に就任-29歳で独立し会社設立、フリーランスと経営者を両立
子供の頃の夢
飲食店
中学生の時の部活動
バスケットボール部

世界を旅した私がたどり着いた場所
四国しまなみ海道での新たな挑戦!

西村 偵太

職業・団体名
ツア-プランナー
出身
神奈川県
学歴
大学卒業
職歴
株式会社WAKKA
子供の頃の夢
消防士
中学生の時の部活動
サッカー部

人見知りから教師の道へ
世界一周の経験を子どもたちに

嶋尾 遥

職業・団体名
教師(小学校)
出身
熊本県
学歴
大学卒業
職歴
教師(小学校)
子供の頃の夢
教師
中学生の時の部活動
テニス部

地図に残る仕事で
人々の生活を便利にする

宮入 駿

職業・団体名
建設業
出身
神奈川県
学歴
大学卒業
職歴
不動産業-建設業(池田組)
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
サッカー部

剣道に捧げた青春が今にも続く

兵藤 裕則

職業・団体名
システムエンジニア
出身
愛知県
学歴
職歴
大手通信会社
子供の頃の夢
警察官
中学生の時の部活動
剣道部

あの夏、僕を助けてくれたのは、理学療法士だった

田中 雄志

職業・団体名
理学療法士
出身
栃木県
学歴
職歴
芳賀赤十字病院
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

皆が見ているwebサイト!!
実は私が作ってるんです!

岡田 優美

職業・団体名
WEBデザイナー
出身
新潟県
学歴
専門学校卒業
職歴
広告代理店
子供の頃の夢
料理人
中学生の時の部活動
美術部

子供の成長が最高のプレゼント
特別支援の先生の魅力とは

高良 大夢

職業・団体名
教師(特別支援学校 )
出身
沖縄県
学歴
【仲井間中学校卒業】
大学卒業
職歴
教師(特別支援学校 )
子供の頃の夢
小学校教師
中学生の時の部活動
バドミントン部

乗り物愛からはじまった私のキャリア
〜見えないところで社会を支える〜

山崎 絋一郎

職業・団体名
機械設計エンジニア
出身
神奈川県
学歴
横浜国立大学大学院
職歴
大手重工業メーカー
子供の頃の夢
船の操縦士
中学生の時の部活動
野球部

サステナビリティってなに?
会計のプロが会社と地球を守る

東郷 円花

職業・団体名
公認会計士
出身
宮崎県
学歴
米国大学卒業
職歴
大手銀行就職後-大手監査法人に転職
子供の頃の夢
海外で働く
中学生の時の部活動
ダンス部

企業のお助けマン!
コンサルタントの仕事ってなあに?

原 匠太郎

職業・団体名
コンサルタント
出身
神奈川県
学歴
千葉大学文学部卒業
職歴
銀行系証券会社-コスト削減コンサルティング会社-戦略コンサルタント(EY Japan株式会社)
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
陸上部

『ビジネスの総合格闘技??』
部活の経験を活かし日本社会の課題に挑む

山本 裕樹

職業・団体名
投資ファンド
出身
群馬県
学歴
上智大学
職歴
外資系コンサルティングファーム-外資系M&Aアドバイザー
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
サッカー部

「命をつなぐ最前線」救急救命士の仕事とは?

吉岡 桂太

職業・団体名
救急救命士
出身
神奈川県
学歴
大学卒業
職歴
救急救命士
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
陸上競技部(長距離)

企業の成長を支える!
PEファンドってどんな仕事?

杉本 啓

職業・団体名
ファンドマネージャー
出身
千葉県出身
学歴
【松葉中学校卒業】
慶應義塾大学卒業
職歴
日系投資銀行-外資系投資会社-丸の内キャピタル
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

齊藤シェフが語る
「食」の魅力とシェフとしての挑戦

齋藤 祐太

職業・団体名
シェフ(フランス料理)
出身
神奈川県
学歴
職歴
中目黒RODEO - 白金台三和 - 鎌倉restaurant takashi tanno - 長谷川稔
子供の頃の夢
料理人
中学生の時の部活動
野球部

世界のためにできること
~国際協力の現場から~

六川 彩水

職業・団体名
国際協力(JICA)
出身
群馬県
学歴
【前橋第五中学校卒業】
宇都宮大学 国際学部卒業
職歴
食品関係商社-JICA海外協力隊-JICA職員
子供の頃の夢
お花屋さん
中学生の時の部活動
バレーボール部

福岡県久留米市に伝わる160年の伝統を守る!

森山 典信

職業・団体名
重要無形文化財
久留米絣(くるめかすり)研修生
出身
福岡県
学歴
近畿大学生物理工学部 食品安全工学科 卒業
職歴
食品メーカー-絣職人(藍森山)
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

住まいをよみがえらせる技術者
補修職人の魅力とは?

野中 舞海

職業・団体名
補修屋
出身
東京都
学歴
高校卒業
職歴
物流4年(フォークリフトで倉庫内の荷物の運搬)‐補修屋(株式会社アールペア)
<会社HP>
→→株式会社アールペア
子供の頃の夢
パン屋さん
中学生の時の部活動
バドミントン部

水と環境の未来を支える
浄化槽と下水処理の現場

川子 博己

職業・団体名
浄化槽管理・一般廃棄物処理
(環境整美工社)
出身
栃木県
学歴
職歴
子供の頃の夢
中学生の時の部活動
剣道部

未来を作るための第一歩を担う
解体業のお仕事とは?

花園 賢吾

職業・団体名
解体業
出身
福島県
学歴
中学校卒業
職歴
解体業
子供の頃の夢
空手家
中学生の時の部活動
無所属

自動車部品を世界に届ける貿易の仕事って?

川井 聡子

職業・団体名
貿易実務(車部品)
出身
三重県
学歴
大学卒業
職歴
文房具メーカー営業-車部品メーカー貿易実務
子供の頃の夢
猫カフェで働く
中学生の時の部活動
陸上競技(短距離)

頭脳スポーツ麻雀!
ギャンブルというイメージをなくし
麻雀の楽しさを世に広めたい!

内田 慶

職業・団体名
雀士✖健康マージャン店経営
出身
神奈川県
学歴
【有馬中学校】
厚木高校卒業
職歴
フリーでカルチャー講師(マージャン)-(株)グリーンフィールズ役員 (マージャン店経営、カルチャー事業など)
子供の頃の夢
マスメディア関係
中学生の時の部活動
将棋部

楽しかったあの頃に戻る?
イベントサークルを企画するお仕事に潜入

安原 拓海

職業・団体名
社会人サークル会社運営(イベント企画会社)
出身
大阪府
学歴
職歴
株式会社Casa-社会人サークルカムバックチルドレン運営責任者・イベント企画
<会社HP>
→→社会人サークルカムチル
子供の頃の夢
大工さん
中学生の時の部活動
卓球部

「法律」という道具を使って依頼者の悩みを解決
弁護士の役割とは?

田代 宰

職業・団体名
弁護士(春水法律事務所)
出身
神奈川県
学歴
職歴
法律事務所の事務職員(アルバイト)ー 弁護士(春水法律事務所)
子供の頃の夢
柔道のオリンピックで金メダルをとる
中学生の時の部活動
柔道部

「挑戦し続ける人生」
4部練からFリーグ、
そしてシステム開発営業の世界へ

松永 託

職業・団体名
システム開発(営業)
出身
熊本県
学歴
職歴
フットサル選手・医療関係 - システム開発
子供の頃の夢
サッカー選手
中学生の時の部活動
サッカー部

街並みづくりで街の歴史や文化を紡ぐ

和泉 秀

職業・団体名
街並みづくり(アーバンディレクター)
出身
福岡県
学歴
職歴
Design labo kuroko創業 →デザイン業(個人)代表(現在に至る) - 一級建築士事務所勤務(建築設計業) - urban direction創業(コンサルティング業(個人)代表) - 一級建築士事務所退職 - 株式会社urban direction設立(コンサルティング業( 法人) 代表取締役)- 九州女子大学/非常勤講師
子供の頃の夢
バスケットボール選手
中学生の時の部活動
バスケ部
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